おかべあさみのブログ

クラリネットを吹いています。アレクサンダー・テクニークの資格(ATI)を取るためSelf Quest Lab在籍。

静かな時間を味わう

こんにちは🌞

先日お誘いいただき、とある演奏会を聴きに行きました。ピアノコンチェルトてんこ盛りプログラム。大変聴きごたえがありました。。笑

そこで気づいたことがあったのです。

 

わたしは今まで演奏会の"しーーーん"とした空気が、実は苦手だったということに。

居心地が悪いというか、身体が固まってくるのです。

自分が演奏をする立場でもそうでした。

自分のソロなどは良いのですが(それも面白い)、オケなどで演奏者として席に座っているとき、長い休みが苦手でした。

ソリストなんかがいて、カデンツァを聴きながら座っていたりすると急にドキッとして、身体が固まってくるのです。

その場の音楽は聞こえているけど、一生懸命集中して聞いている感じ。

音楽を邪魔しちゃいけない、人の迷惑になってはいけないから可能な限り静かにしてなきゃ、という頭の中の声と共に・・。

呼吸もかなりしづらく、心臓がずっとバクバクしていて、倒れるんじゃないか・・と心配になったことすらありました。

 

掘り下げてみると、日常レベルでもやはり人がたくさんいるところでの"しーーーん"とした時間はなぜかわたしにとっては辛く苦手でした。

(ああ、またこの固まる時間だ。怖くて動けない。これは何なんだろう。でもやり過ごすしかないな。)と当時は思っていました。

 

でも、自分に起きている反応には少なくとも原因があると今は感じています。

 

 

身体や思考の習慣やクセを変えていこうと思ったとき、自分と向き合うということに丁寧に取り組んでいくと、モヤっとしていた絵の解像度が上がるように、明確に、それが何なのか浮かび上がってきます。

自分がやっていた身体や考え方のクセには深くなればなるほど気づきたくなかったことも含まれていたりします。良いことだ、正しいことだ、もしくはそれしか知らず無意識にやってたわけですから。

でも、気づくことに良いも悪いも無いと思っています。ただ気づくだけ。

自分の存在を無視することなく、向き合い、時には待ってみたり、眺めてみたりすることが少なくともわたしには安心する土台になり、前進することに繋がるのだと。

 

以前は何かに気づいては、ああまだこんなにわたしには問題があるのね。。と落ち込んだり、立ち向かわねば、直さなきゃ、と躍起になっていたのですが、

だんだん自分の身体に起きることや考えていること自体がなんとも不思議で、考えてみるほど人間らしく、ちょっと可笑しいというか・・・これってなかなか楽しいことに取り組んでるんじゃないの??と思えてくるようになりました。

そして、習慣やクセと一緒に生きていこうよ。気づいたらいい。アプローチし続ければいいんじゃないかなあ、と思えるように。

 

 

さて。

ここから、先日体験したことです。

ピアノコンチェルトなので途中に見せ場のカデンツァがあります。カデンツァは奏者が即興的に間をとるので必ず"しーーーん"があります。。

ですが、心身ともにウッと固まるあの時間、あの反応は起きませんでした。

 

コンサートホールの椅子に座り、瞬間瞬間に空間に響いている音楽を聴き、肌で感じ、落ち着いた呼吸を繰り返し、舞台を眺めている。

音楽を受け取り、身を委ねている感覚。静かで心地よいと感じる時間でした。

 

心身ともに自由な状態は、落ち込んだり、乗り越えようと躍起になったり、正解はこれだと押し付ける時にはやってこないものだなーと深く感じました。

自分への好奇心と実験、対話を繰り返すことで身体・思考への気づきの目盛りが増えていく。

自分にとっての事実に気付いた。・・・じゃあどうしよう?やってみよう!どうだった?・・・そんなシンプルなプロセスを辿ることで少しずつ育っていく。そうやって変化はやってくるのだと思います。

 

 

たどり着くのに時間がかかっても価値のあることはあるよね。大変だー。でもそっちを選べてよかったねー。

・・・そんな自分との対話はこれからも続きます。笑

 

それではまた🌞

望みをクリアにできるということ

 

大学を卒業してからの数年、自分はどんな事をやりたいのかな、音楽について、仕事をしていくことや人との関係性、これまでの事これからの事、、、考えて実践し生きてきたけど、改めてハッとするような出来事に出会ったので書いてみようと思います。

 

先日、アレクサンダー・テクニークの先生でもある渡邊愛子さんに、コーチングセッションというものを受けた時のお話し🌷

 

コーチングセッション自体、受けるのは初めて。私が達成したい目標や、やりたいこと、好きなこと、望みを掘り下げていくところからスタートした。

この時点で、なんだかわくわく。好きなことを話してる時は生き生きしてくる!

コーチと対話をしていきながら、私が主軸で話を進める。コーチは質問を重ねながら具体的に期間はどれくらいで、具体的にはいつから何をしましょうか?など、細かい目標設定をするところまでサポートをしてくれた。

ただ、あくまでコーチの役目はサポートであって、アドバイスやジャッジ、誘導などはしない。ほお。。。なんだか安心できる。

 

話していく中で、わたしはなにげなく今いる環境や自分が持っているものから消去法で目標や望みを設定しようとしていた。

しばらくその話に耳を傾けていた愛子さんがふと「もしも制限がなかったとしたらどうですか?」という問いを手渡してくれた。


・・制限がなかったら?

うーん。すこし困りつつ、考えてみた。

いま現在、自分の中に持っているものからしか次の何かを望めないとなぜか思っていた。

なぜだろう。。

そう思うと、現実問題それって可能なの?とか、そんな年齢で、そんなんで生きていけんのかよ、とか、、、あらあら、たくさん何か小言が聞こえる。なんだかわたし自身をジャッジしているひとがいる。忙しいねぇ。笑

 

ちょっと決めつけをしたがる自分を横に置いておき、奥の方にいる自分になにがしたいの?と聞いてみた。

すると、びっくり。

「何年後かわからないけど、田舎に住みたい。小さくてもいいから庭で畑を耕して野菜とか、育てたい。それを朝ごはんにして食べたり・・したい・・・」(笑)

小さな夢だと思う。人に伝えたことのない些細な夢。バカにされるかも、とか思ってた。(一体誰に?笑)

 

それを皮切りに、自分の中にとっておいた望みがどんどんと口をついて出た。

こんな仕事をして、こんな空間で、こんな人と出逢えたら楽しいだろうなとか。

これは好きで、これは嫌い!とか。(わがまま)

愛子さんはとても楽しそうに聴いてくれました、、、😌(love)

 

望むことや夢を持つことはその人の権利。大人でも子どもでも。とても自由だな、と気づいた。

いろんな関係性やしがらみの中で人は生きているけど、、、望むこと自体に制限はない。叶うか叶わないかは知らない。だけど、本当にただ自由なんだなと。


それと関連して。。

アレクサンダー・テクニークのレッスンに行くと先生からまず「今日は何をしたいですか?」という質問をされる。

これは、その日の生徒の「望み」やテーマを聞いているわけです。。

 

その質問に対して、

(そうだなあ。。今日は、まぁこのテーマで良いかなー。)

と思っている自分が過去に居たことに気づいた。

何気なくそう思っていた。「これでいいかな〜」が悪いわけではなくて、多くを望まないし、期待しない。いつからかそんな習慣があったことに気が付いた。

 

「今日は何をしたいですか?」の形を変えて

「5年後、10年後、何をしたいですか?(どうなっていたいですか?)」でもいいし、

「いま、わたしは何を望んでいるんだろう?」と立ち止まって心の中で聞いてみてもいい。

 

 

いつでも、自分の望みはクリアにできる。

クリアであればあるほどいい。探究の質は興味があるからこそ、と気付くことができる。

もしもクリアでなければ、なんでだろう?と覗いてみる。

ないのなら、わくわくするものを探してみる。

見つからないなら、出てくるまで待ってみる。

「叶いっこないよ!」という思い込みを置いておいて、やはりいつでも望むのは自由。

そして、目の前にいるのがレッスンを受けに来てくれている生徒だとしても同じことだな〜。

 

アレクサンダー・テクニークのレッスンで、まず生徒の望みを聞く、そこを主軸にしている理由は望むことが自分と向き合うことの始まりだからなんだな、と思えた出来事でした。

 

望みを人に話しているときのドキドキと安心感の入り混じった気持ちと、身体のワクワクした感じ。心が震えるような感覚。

心が震える、これが原動力なんだといつでも取り出せるように何度も思い出そう😌

 

素晴らしい経験に感謝😌ありがとうございました。

フェアに、選びなおす。

こんにちは🌞

7月ももうおわりですね。例年ならそろそろ夏本番かというところですが、今年はもう少し時間がかかりそうです。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか?☂️☀️

 

今日のテーマは、アレクサンダー・テクニークの原則である

方向性(ダイレクション)

抑制(インヒビション)

について、最近の学びをまとめてみます。

 

 

◎ある日のアレクサンダー・テクニークのレッスンにて

楽器(クラリネット)を構える時に感じていた腕、肩甲骨まわりの筋肉の張りや違和感。息も入ってきにくいような気がして、疲れが蓄積するので気になっていました。

レッスンでは、先生にサポートを受けつつ、まず実際に起きている動きを丁寧に見ていきます。

ここで無意識にしていた身体の動きに気付きました。うやむやになっていた、腕や肩関節の動きについてもおさらい。

腕はからだの構造上、身体の前側(視界に入る範囲)で使うと、機能的にも長時間何かをするのも有利なのですが、

その時わたしは、"腕をうしろへ引くために使う筋肉"をほんの少し使っていました。

肩甲骨を背骨側へ寄せる動き、胸を張るような動きをほんの少し、していたわけです。

楽器を吹くのは可能な動きなのですが、長時間やり続けるのは疲れてしまいます。

また、腕を後ろに引くことで、肋骨の動きにも制限がかかり、違和感や疲れに繋がっていたのでした。

 

さて。この前提を踏まえて、

①本来の望み(=楽器をより効率的に支えながら息をより自由に使いたい)があって、

②頭が動いて、身体全体が付いていくことを思い出しながら、

③腕を肩関節から前で使う。鎖骨も前側に動ける。

というプランを使い、また楽器を吹いてみました。

すると、肩甲骨まわりにあったいやな緊張はなくなり、肋骨も動きやすくフッと息が入ってきます。呼吸の質が変わったおかげで、音の響きも変わりました👏👏

 

さてさて。身体の各部分には、筋肉の動く固有の方向、構造に合った動きの方向があります。

方向性(ダイレクション)の意識には、

その動きの方向を意識しながら、その瞬間瞬間に自分の感覚や動きを観察して、気づいていくプロセスがあります。

この時のレッスンでは、まさに不慣れな筋肉や関節の動きを試しながら、「こんな使い方あるの?こっちの方がはるかに楽!」という経験を得られたのでした。

 

〜〜次の日〜〜

昨日のレッスンでの体験を再現したい!自分のものにしたい!と意気込み、練習に取り組みました。

すると。あれ?上手くいかない。何でだろう?落ち着いてもう一回。うーん、やっぱりあのレッスンでの身体の感覚と違う!またやってみるのですが、なにかが違う。以前と同じ嫌な感覚もほのかに戻ってきました。

わたしは、「もしかして、ちゃんと方向性を意識しきれていないのではないか?」と思いはじめました。

 

そして、また別の日レッスンを受けた際に先生にそのことを話したのです。

すると、先生は「方向性に対して、義務感や強制感を持っていない?」とさらっと返してきました。

思い当たる節が。はっ・・・!としました。

 

◎どんな声掛けを自分にしていたのか?

先日のレッスンの場面では、

「ただ自分の全体に意識を向けながら、筋肉や関節の動きを試しつつ腕を前で使ってみよう。」という声掛けをしていました。

⬇️

新しいことを知れそうな気持ち。好奇心をもちながら、新しいプランを試しながら今の自分の身体全体にただ気づき続けている。動きが起き続けている。

こんなかんじです。

 

ひとりになったときは、

「(あのとき上手くいったんだから再現しなきゃ・・・)腕は前で使い続けるべき。後ろで使ってはいけない。」と、このような声掛け。

⬇️

過去の体験の再現をしようと、いつの間にかプランが義務的な指示(今の自分が置いてけぼりになっている。

 

・・・これ、やっていることがかなり違います。

 

そして、もう一つ気づいたことがありました。

それは、望んだ結果が得られなかったときの「ちゃんと意識できていない」という自己評価。

この、"ちゃんと"とは、一体なんでしょうか?

なんだか、とても馴染みのある言葉です。

「〜べき」「〜しなくては」「〜してはいけない」「ふつうは」「当たり前」「ちゃんと」「しっかり」・・・。

 

正しさの定義づけ

これらの言葉の裏には、"正しさ"の定義づけがあるのではないかと思うのです。

正しさはある種の型なようなもので、指標にもなります。

ですが、それしか選べないと思い込んでしまったら・・?

他ならぬ自分自身が、正しさに囚われて動く選択肢をなくしていました。

方向性(ディレクション)のプランには、

「こうしなくてはいけない」ということはなくて、

➡️自分に対してフェアに気づき続ける。過去や未来でもなく、いまの自分を見る。

こういうプロセスが含まれているんじゃないか、と気づいたのでした。

 

そして、このプロセスの中で、

抑制(インヒビション)

がとても役に立ちます。(やっと登場👏)

 

抑制、と言っても我慢することや自由にしてはいけないという意味合いはありません。

わたしの今回の経験で言うと、

「こうすべき」という習慣的な考え方が自分の根っこにあったようです。

その「こうすべき」に気づいて、ふと立ち止まる。

「こうすべき」を一旦手放して、新しく選び直すことも可能です。

➡️行動や考えに気づいて、ふと立ち止まり、選択肢の中から選び直す。

これが抑制(インヒビション)です。

 

いろんな場面で、気づいていながらも「えい!」とやっちゃうこと、今までありすぎるほど(今も)あるんですが、

ふと立ち止まる。これって小さな決断だと思うのです。

そしてその瞬間に、時間やスペースを与えることで、行動や考えを選びなおすことができます。

もしまた「こうすべき」という考えが戻ってきても、またふと立ち止まって、自分自身で選びなおすこともできるのです。

いつでも選びなおすのは、他でもない自分自身です。

 

 

◎おわりに

アレクサンダー・テクニークで日々学んでいるのは、ハウトゥーではなく丁寧なプロセスです。

方向性と抑制について長々書きましたが、このプロセスから受ける恩恵はとても大きいですね。

いつでもフェアに、選びなおすことができる自分で、また学んでいきたいと思います。

 

それではまた!

習慣についての自己探究

こんにちは。

今回は「習慣」についての経験と探究をお話ししたいと思います☕️

 

遡ればわたしは、特に音大を受験しようと思ったあたりから演奏するときの身体の痛みや、固さ、緊張やストレスというものをいくつも抱えていました。

当時心の中にはいつも「痛みなく、ストレスなく、自分が目指すいい演奏をしていきたい」という望みがありました。今もその想いはベースにあり、その時々自分の中で言葉を変えつつ、原動力として活動しています。

そんな理由でアレクサンダー・テクニークを本格的に学び出して、意識的・建設的な動き/思考が「こうなりたい」という自分の望みに対してとても役立つということはわかっていましたが、わたしにはなかなかそれを選択できない時期が長くありました。

アレクサンダー・テクニークのレッスンの場に行っても、グループレッスンでのアクティビティで手を挙げられなかったり、思っている意見を言えなかったり。

 

最近よく考えるんですが、

「それを選べない、選べなかった、選びたくなかった、矛盾した自分」とは。

心身に余裕があるときにそのフタを少し開けてみると、

・「自分なんて」「恥ずかしい」といういつからかわからないほど前からあった自己否定的な思考

・「これ、どう思われるかな?」という人からの視線に対する不安

・「うまくやらなきゃいけない」という完璧主義的思い込み

・「できた/できない」で価値をつける物の見方

・周りと自分を比較して優劣をつけて叱咤するやり方

・新しいものを選んで自分が変わることへの怖さ、めんどくささ

 

(たくさん出てくる👏そして今思うと、あれ、かわいそうな人がいるな?あらま、自分だった。よしよし。。あなたの先生誰よ?あ、自分だった。よしよし。。ですが)

 

そんな"非建設的な概念"がわたしの心身の奥底にずっとありました。

おそらくこれが、長い時間をかけて培ってきていた慣れた、馴染んだ、当たり前の思考と動きの習慣で、やりたいことへの困難を生み出していました。

 

さて。

これを書きながらも少し心はザワついてきて、指先がちょっと冷たくなってきました。(THE習慣)そんな時はふーっと一呼吸おいてコーヒーでも飲みます☕️よければどうぞご一緒に。

〜〜〜コーヒータイム☕️〜〜〜

 

いまこうしてこの話をしているのは、アレクサンダー・テクニークの学びを通して心身の質が変わり続けていているから、とも言えます。

アレクサンダー・テクニークは、"不必要な心身の緊張をやめていき、やりたいこと(望み)に近づくアプローチを学ぶワーク"と、前にFacebookに書いた記憶がありますが、

自分のためにすこし付け足したいな〜と思います。

"やりたいこと(望み)があって、それに必要なことを起こすために意図することを自立的に育てていくワーク。"

もう少し詳しく言うと、

"新しいプラン(アイデア)によって脳からの指令を意図的に変えることに取り組むことで、習慣的な身体の動きや思考に変化が起こり、更新されていく。"

このようなプロセスがあると思っています。

 

 

安全な環境で好奇心を軸にすると、人は叱咤激励なしでも、学び、成長します。(子どもとかそうですね👦🧒)

その学びの道の途中で、当然、習慣的な思考回路/身体の使い方の癖があるのに気づきます。

そのときに、非建設的な批判を投げかけてくる"習慣警察"のような自分がいると、とてもしんどいですよね。

なんだか暇なのかな?いつでも習慣を探していて、見つけたら笛をピーっと吹いて「アレクサンダーなんちゃらをやっているのに、きみはこんなにもたくさんのよくない習慣をやっちゃってるねぇ、だめだねぇ」とか言って取り締まってくるんですよ。しんどい。

そんな時は早急に習慣警察のわたしにはお帰りいただき、代わりにフェアな視点で向き合ってくれる超建設的な最高の先生(わたし)を雇います。しかも自分自身なのでお金はかかりません。(やったー)

 

習慣は、誰しも持っていて、いつでも自分と一緒に存在しているものだといえます。

「いつもこうなっちゃう」「全く変えられない」「わかっちゃいるのに変えられない」ことはたくさんあります。

そんな時は、いまの自分が選べる範囲、理解できる範囲、安全を確保して進める範囲で、意図するプラン(アイデア)を決める。そして身体の軸や全体を思い出しながら、試してみる。途中でやめてもいい。

さっきのようにコーヒーを飲んで、ふ〜っとするのもいい☕️

 

・・・どうでしょうか。

丁寧でフェアな視点で自分を見つめ、選択肢を増やし、心身共に安全な範囲を少しずつ広げていくことで、気づきの感度レベルは上がっていきます。

その過程があれば、習慣的な考え方や、身体の動きの習慣を変えていくことができ、心身を包括的に見ることができるようになっていくのです。

 

そして、書きながら気づきましたが、習慣は今までの自分をカタチづくってきた歴史であり、自分を守ってくれていたスキルとも言えます。どんなやり方だとしても、そのおかげで今まで生きてこれたわけです。

その存在を蔑ろにするのではなく、ちょっと広い心で受け入れて向き合えたら、根深い習慣ともなんだか楽しく付き合えそうな気がします。

(めでたし👏)

 

それではまた☕️

感情と共に、いまなにを選ぶか。

アレクサンダー・テクニークを学んでいると、理にかなった身体の使い方、論理的な考え方の新しい選択肢がどんどん増えていきます。

そして何やらチャレンジ精神が出てきます。笑

 

そんな中、前々から考えていて、決めた「歯科矯正」。

まだ始めて1週間ほどですが、楽器を吹くときの口の筋肉、腕の筋肉、、、楽器を支えている身体全体のバランス。いろんなところに変化が起きてきたのがわかります。

もちろん覚悟はしていたものの、前にできていたことができなかったときもありました。なんとかリカバーしてできる日もあれば、できない日もある。

そこで湧いてきたのが「こわい」という感情でした。

 

自分の感情と身体全体に気づきながら、今なにを選ぶか。

「こわい」と思うと、あれよあれよと言う間に、元々もっていた身体や考え方の癖が出てきます。

でも、少し立ち止まってよく見てみると、外側は「こわい」でも、内側には元々あった「望み」と少しの「好奇心」も含んでいることに気づきました。

 

こわい。だけど、これは好奇心・望みを含んでいる"こわさ"。

・・・腑に落ちる事実でした。

元々、歯科矯正をして、マウスピースに当たる前歯の体積を増やして、支えを増やすのが目的。明確に言えば、今よりもいい音になりたいから。うまくなりたいから。

身体も心も、少し動けそうな余地が見つかりました。

 

ここで、"頭が動いて、身体全体がついていきながら"、

新しい動きや考え方のプランを選んで、やってみたらどうなるか?

あー!だめだ!やっぱりこわい!と思ったら、もちろん休んでもいいし、やめてもいいと思います。でもふーっと間をとって、また新しい意図をもって試してみる。それも選択肢です。

そんなことを繰り返しながら、少しずつ丁寧に時間をかけていくこと、できるところから向き合うことで、

少しずつ身体と考え方の感度レベルは成長していくのがわかりました。

新しいことにチャレンジしている自分にわざわざダメ出し大会をしなくても、つらい失敗からしか学べない・・・と思いこまなくても、得られる成長もあります。

わたしにとって、成長はどんなに小さくとも事実であり、自分の身体と心への信頼

だということを認識しました。

 

まだまだ、変化途中でなにが起こるかわからないのですが、

変わることは、価値のあることだと思えた出来事でした。

 

**************

・・・今、世界は未経験の事態にあります。

無常にも世界が激変していく中で、個人的にも体調や感情の浮き沈みの振れ幅は、なかなかなものだと日々気付かされます。。

そんな中で「変わるのがこわい」という感情は、自分の心身の状態(好奇心、望み)を知らせてくれたと思います。

わくわくするものが見えたらそちらの方角へ舵を切る。冒険する範囲を少しずつ広げていきたい。

たとえ制約があったとしても、選択肢をつくることとそれを選びとるのは、他の誰でもなく、いつでも自分自身なのだと思うのです。

軸骨格とプライマリーコントロール

☆軸骨格について

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軸骨格(緑色の部分)
頭蓋骨、肋骨、胸骨
脊柱: 頸椎、胸椎、腰椎、仙骨、尾骨


Ⅰ. 頭蓋
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頭蓋骨: 脳を保護している。
顔面頭蓋: 頭蓋の顔の部分。呼吸、消化管の入口がある。

 

1-1. 内耳の骨
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内耳の骨: 3つの骨から成り、互いに関節接合し、振動を鼓膜から内耳に伝達する。

 

1-2. 咽頭骨格、舌骨
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咽頭骨格: 9個の軟骨からできている。
気管と舌根の間に位置する。

※内耳の骨、咽頭骨格、舌骨は、一般に頭蓋骨と一緒に分類される。


Ⅱ. 脊柱(頸椎、胸椎、腰椎、仙骨、尾骨)
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頸椎: C1〜7
第一頸椎を環椎、第二頸椎を軸椎という。(環軸関節)は、回旋の動きができる。
また、アレクサンダー・テクニークにおけるプライマリーコントロールに関係する頭蓋骨と環椎の接合部は、AO関節(トップジョイント)という。
屈曲、伸展が得意。側屈、回旋の動きもできる。頸椎は、脊椎の中でも可動域が広い。

 

胸椎: T1〜12
胸椎は、胸郭を形成する部分でもある。
側屈、回旋の動きが得意。
下位胸椎は、腰椎の構造に近くなるので屈曲、伸展の動きが得意になる。

 

腰椎: L1〜5
屈曲、伸展が得意。回旋の動きは不得意。
腰椎にかかる負担はとても大きいため椎体が大きい。

 

仙骨
腰椎の下にある大きな逆三角形の骨。
骨盤の上方後部、寛骨に差し込まれるような形で繋がっている。
仙骨の下は、尾骨という脊椎の一番下に位置する骨がある。


Ⅲ. 胸郭(胸椎、胸骨、肋骨)
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肋骨:
胸椎から胸骨にかけて繋がる弓状の細長い骨。肺や心臓などを取り囲む形で付いている。
左右に12本ずつ、合計24本の肋骨がある。
呼吸に関係する、肋間筋や横隔膜など肋骨に付いている。(呼吸のレポートで詳しく書こうと思います)

胸骨:
鎖骨と繋がっている。(胸鎖関節)
側縁は左右に第1〜7肋骨と繋がっている。

 

 

プライマリーコントロールについて

頭と脊椎の関係について見ていきましょう。
まず頭の重さは4〜5kgといわれています(実はとても重いのです!)
そして後頭部と頸椎の間には、後頭下筋群という小さな筋肉がたくさんついています。
後頭下筋群は、優秀なセンサーのように機能していて、頭が脊椎の上でバランスを取れるように、常に調整してくれています。

なにか身に危険が起きたり、人前で緊張するような場面など、それらのセンサーが働き、脳へ「危険だ!」と指令がいき、首をぎゅっと脊椎の方へ縮めます。
頭〜脊椎は身体の軸となる骨格をつくっているので、腕や脚にまで影響が出てしまうのです。

逆に、頭が脊椎から離れるように、ふわふわっとバランスがとれていると・・・
本来もっているバランス調整機能がはたらきやすくなり、身体全体が動きやすくなります。
(そのバランス調整機能のことを、アレクサンダー氏はプライマリー・コントロールと名付けました。)

アレクサンダー・テクニークは、
不要な固めをやめていき、身体が本来もっているバランス調整機能をはたらきやすくするために、
自分自身の動きと思考を紐解いていくようなアプローチをしていきます。

 

まとめ
プライマリー・コントロールってなんだろう・・・とずっと思っていました。
私にはそんな特別なものはないし(?)、ないものは信頼できないよ(?)、と思っていました。苦笑

 

時間がかかりましたが、思えるようになったのは、
「自分の心身に存在する軸を、ただ信頼すること」です。

できなかったことができた!という小さな成功体験がいくつも積み重なってわかってきたことです。

プライマリー・コントロールは特別なものではなく、人間に元々備わっている機能です。

 

自分が本当にやりたいことのために、自分自身を信頼する。
信頼するための無限のアプローチがあるんだなぁと思うと、学ぶのがほんとうに楽しいと思えます。
まだまだ、これからもコツコツ続けていきます。

 


参考HP
・軸骨格と付属骨格

https://www.google.co.jp/amp/s/www.thespaceten.com/amp/2016/08/31/%25E8%25BB%25B8%25E9%25AA%25A8%25E6%25A0%25BC%25E3%2581%25A8%25E4%25BB%2598%25E5%25B1%259E%25E8%2582%25A2%25E9%25AA%25A8%25E6%25A0%25BC

Visible Body

https://www.visiblebody.com/ja/learn

プライマリー・コントロール/アレクサンダー・テクニークの基本とは

◎F.M.アレクサンダーの発見と、アレクサンダー・テクニークの原理について◎

 

アレクサンダー・テクニークとは、オーストラリアの舞台俳優、F.M.アレクサンダーが、朗唱中の声のかすれ、喉の不調を起こしました。数年かけて事態は深刻になるばかり。

医者にも治療ができないとわかり、ついにアレクサンダーは自分自身でやり方を模索していくことにしました。

 

アレクサンダーは手助けとして鏡を使って、普段の会話をするときの自分と、朗唱するときの自分の違いを観察をしました。

そうしてトラブルの根源として気づいたのが、朗唱する時にだけ強く起こる「頭を後ろに引く動き」。

そして、「咽頭を押し潰して、あえぎ声が出るように口から息をすすり込むクセ」でした。

さらには、頭を後ろに引く動きをやめられている時には、"間接的に息のすすり込みや咽頭の押し潰しを抑えられる"ということもわかってきました。

 

 

ここでの発見が、

「プライマリー・コントロール(初源的調整作用)」です。

・・なんのことでしょう?

簡単な実験をやってみましょう。

※頭を後ろに引く動きというのは、"首を短く縮めて、固定されて動けないような状態"を想像してみてください。

 

実験

1:両手をなにげなく挙げて下さい。どこまで挙がりましたか?挙げ心地や労力はどんな感じがしますか?

2:頭を首や胴体に対して固定してみてください。

3:頭を固定したまま、両手を挙げて下さい。どこまで挙がりましたか?挙げ心地や労力はどんな感じがしますか?

4:腕を挙げたまま、頭を固定するのをやめてみて下さい。「頭を動けるようにしてあげよう」と思ってみてください。どうでしょう?

 

実験B

1:何気なくイスから立って、座って下さい。

2:さっきと同じように、頭を固定してみてください。

3:頭を固定したまま、イスから立って、また座ってみてください。どんな感じがしますか?脚の動きはどうでしたか?

4:頭を動けるようにしてあげて、イスから立って、そして座って下さい。

 

実験C

1:鼻からゆったり息を吸って、そして口からフーッと吐いてみて下さい。

2:頭を固定してみてください。

3:頭を固定したまま、鼻から息を吸ってください。(きっと吸えないことでしょう...)

4:頭を動けるようにしてあげましょう。すると、ふと体が緩みます。その拍子にあっというまに簡単に息が入ってくるかもしれません。

5:鼻からゆったり息を吸って、そして口からフーッとに吐いてみて下さい。頭が固定されているのと動けるようにしてあげているのとでは、呼吸がまったくちがっていませんか?

 

 

・・・これらの実験でわかるのは、

「頭を固定すると、身体も自由に動かない」ということです。

逆に言えば、「頭が自由に動けるようになると身体も自由になって、ついてきてくれる」ということです。

 

"首が楽で、頭が前と上に行き、ふわっと脊椎の上でバランスをとっている状態"なら、声が出やすい。トラブルが起こらなくなってきた!

・・・と、そんな事を自分自身の観察を続けたアレクサンダーは気づいていったのです。

 

この状態、「プライマリー・コントロール(初源的調整作用)」は、本来人間に備わっている機能のことです。

アレクサンダー・テクニークでは、不必要な筋肉緊張や精神的な緊張を意識的にやめていくアプローチを学び、その本来の機能を取り戻していきます。

元々もっている自分自身の心身の可能性を広げることができる、ということです。