おかべあさみのブログ

クラリネットを吹いています。アレクサンダー・テクニークの資格(ATI)を取るためSelf Quest Lab在籍。

フェアに、選びなおす。

こんにちは🌞

7月ももうおわりですね。例年ならそろそろ夏本番かというところですが、今年はもう少し時間がかかりそうです。

皆さんはいかがお過ごしでしょうか?☂️☀️

 

今日のテーマは、アレクサンダー・テクニークの原則である

方向性(ダイレクション)

抑制(インヒビション)

について、最近の学びをまとめてみます。

 

 

◎ある日のアレクサンダー・テクニークのレッスンにて

楽器(クラリネット)を構える時に感じていた腕、肩甲骨まわりの筋肉の張りや違和感。息も入ってきにくいような気がして、疲れが蓄積するので気になっていました。

レッスンでは、先生にサポートを受けつつ、まず実際に起きている動きを丁寧に見ていきます。

ここで無意識にしていた身体の動きに気付きました。うやむやになっていた、腕や肩関節の動きについてもおさらい。

腕はからだの構造上、身体の前側(視界に入る範囲)で使うと、機能的にも長時間何かをするのも有利なのですが、

その時わたしは、"腕をうしろへ引くために使う筋肉"をほんの少し使っていました。

肩甲骨を背骨側へ寄せる動き、胸を張るような動きをほんの少し、していたわけです。

楽器を吹くのは可能な動きなのですが、長時間やり続けるのは疲れてしまいます。

また、腕を後ろに引くことで、肋骨の動きにも制限がかかり、違和感や疲れに繋がっていたのでした。

 

さて。この前提を踏まえて、

①本来の望み(=楽器をより効率的に支えながら息をより自由に使いたい)があって、

②頭が動いて、身体全体が付いていくことを思い出しながら、

③腕を肩関節から前で使う。鎖骨も前側に動ける。

というプランを使い、また楽器を吹いてみました。

すると、肩甲骨まわりにあったいやな緊張はなくなり、肋骨も動きやすくフッと息が入ってきます。呼吸の質が変わったおかげで、音の響きも変わりました👏👏

 

さてさて。身体の各部分には、筋肉の動く固有の方向、構造に合った動きの方向があります。

方向性(ダイレクション)の意識には、

その動きの方向を意識しながら、その瞬間瞬間に自分の感覚や動きを観察して、気づいていくプロセスがあります。

この時のレッスンでは、まさに不慣れな筋肉や関節の動きを試しながら、「こんな使い方あるの?こっちの方がはるかに楽!」という経験を得られたのでした。

 

〜〜次の日〜〜

昨日のレッスンでの体験を再現したい!自分のものにしたい!と意気込み、練習に取り組みました。

すると。あれ?上手くいかない。何でだろう?落ち着いてもう一回。うーん、やっぱりあのレッスンでの身体の感覚と違う!またやってみるのですが、なにかが違う。以前と同じ嫌な感覚もほのかに戻ってきました。

わたしは、「もしかして、ちゃんと方向性を意識しきれていないのではないか?」と思いはじめました。

 

そして、また別の日レッスンを受けた際に先生にそのことを話したのです。

すると、先生は「方向性に対して、義務感や強制感を持っていない?」とさらっと返してきました。

思い当たる節が。はっ・・・!としました。

 

◎どんな声掛けを自分にしていたのか?

先日のレッスンの場面では、

「ただ自分の全体に意識を向けながら、筋肉や関節の動きを試しつつ腕を前で使ってみよう。」という声掛けをしていました。

⬇️

新しいことを知れそうな気持ち。好奇心をもちながら、新しいプランを試しながら今の自分の身体全体にただ気づき続けている。動きが起き続けている。

こんなかんじです。

 

ひとりになったときは、

「(あのとき上手くいったんだから再現しなきゃ・・・)腕は前で使い続けるべき。後ろで使ってはいけない。」と、このような声掛け。

⬇️

過去の体験の再現をしようと、いつの間にかプランが義務的な指示(今の自分が置いてけぼりになっている。

 

・・・これ、やっていることがかなり違います。

 

そして、もう一つ気づいたことがありました。

それは、望んだ結果が得られなかったときの「ちゃんと意識できていない」という自己評価。

この、"ちゃんと"とは、一体なんでしょうか?

なんだか、とても馴染みのある言葉です。

「〜べき」「〜しなくては」「〜してはいけない」「ふつうは」「当たり前」「ちゃんと」「しっかり」・・・。

 

正しさの定義づけ

これらの言葉の裏には、"正しさ"の定義づけがあるのではないかと思うのです。

正しさはある種の型なようなもので、指標にもなります。

ですが、それしか選べないと思い込んでしまったら・・?

他ならぬ自分自身が、正しさに囚われて動く選択肢をなくしていました。

方向性(ディレクション)のプランには、

「こうしなくてはいけない」ということはなくて、

➡️自分に対してフェアに気づき続ける。過去や未来でもなく、いまの自分を見る。

こういうプロセスが含まれているんじゃないか、と気づいたのでした。

 

そして、このプロセスの中で、

抑制(インヒビション)

がとても役に立ちます。(やっと登場👏)

 

抑制、と言っても我慢することや自由にしてはいけないという意味合いはありません。

わたしの今回の経験で言うと、

「こうすべき」という習慣的な考え方が自分の根っこにあったようです。

その「こうすべき」に気づいて、ふと立ち止まる。

「こうすべき」を一旦手放して、新しく選び直すことも可能です。

➡️行動や考えに気づいて、ふと立ち止まり、選択肢の中から選び直す。

これが抑制(インヒビション)です。

 

いろんな場面で、気づいていながらも「えい!」とやっちゃうこと、今までありすぎるほど(今も)あるんですが、

ふと立ち止まる。これって小さな決断だと思うのです。

そしてその瞬間に、時間やスペースを与えることで、行動や考えを選びなおすことができます。

もしまた「こうすべき」という考えが戻ってきても、またふと立ち止まって、自分自身で選びなおすこともできるのです。

いつでも選びなおすのは、他でもない自分自身です。

 

 

◎おわりに

アレクサンダー・テクニークで日々学んでいるのは、ハウトゥーではなく丁寧なプロセスです。

方向性と抑制について長々書きましたが、このプロセスから受ける恩恵はとても大きいですね。

いつでもフェアに、選びなおすことができる自分で、また学んでいきたいと思います。

 

それではまた!